韻文の音読と散文の音読

 『千字文』は、全体を通じて偶数句末が韻を踏んでいました。「韻文」です。一句が四字でした(四言)。

 中国最古の韻文、『詩経』では、四言のものが多数を占めます。ただ、『詩経』は後世のものほどは定型化されていないので、四言を基調としつつも、部分的に三字・五字・六字などの句が混じります。

 唐代の詩は、五言・七言が主流で、それ以降も大きな変化はありません。

 総合すると、中国の韻文は四言から七言まで、ということになります。これくらいの一句の長さが、中国の韻文にとって「声に出しやすく、耳になじむ」のでしょう。

 一方、散文はどうか?一句の字数から言うと、韻文とあまりかわらないように、私には思えます。文言の散文では「一口に発声するのは、七字か八字まで」です。中国語においては、例外を除き、一字が一音節なので、「一口に発声するのは、七音節か八音節まで」と言っても同じです。文言を読み上げる際、注意を向けてみて下さい。

 一般に、韻文は暗誦しやすく、散文は暗誦しにくいものです。今、暗誦につとめている『論語』は、散文ではありますが、会話を再構成したものですから、散文としては、口にのぼせて読み上げることが比較的容易です。そういうわけで、『論語』を取り上げています。

 『論語』の一句の長さはどれくらいでしょうか?句と句との間に句読点を打っておきましたので、数えてみて下さい。大体において九字を超えることがないことが分かるはずです。

 また、すでに学んだ学而篇第四章「為人謀而不忠乎?與朋友交而不信乎?」を読み上げる際は、「謀」「交」の後にそれぞれ一呼吸入れて、「為人謀、而不忠乎?與朋友交、而不信乎?」と読むのがよいと思います(慣れていない人、自信のない人ほど、「早口で読み上げるのが上手」と思い込んでいますが、ゆっくり、短く切りながら読み上げるのが理想的です)。そうなると、七字八字の句も、実はもっと短く切って読むことが多いのです。

 英語を習ったときも、「7音節か8音節以下にphrasingして話すように!」と教わりました。日本語の詩歌も「七五調」ですよね。ことばと人間の呼吸の関係は、不可分だということが分かります。