謚号について

 先日見た、第69行に「桓公匡合」とありましたが、そこに見える「桓」は、謚号と呼ばれる名前です。また第70行に「綺迴漢惠」と見えた「惠」も、同じく謚号です。
 有名な春秋時代の斉の桓公の「桓」、晋の文公の「文」、あるいは唐代の則天武后の「則天」などは、「謚shi4」(「諡」とも書かれる)と呼ばれる名称です。王侯や功績のあった人物に、(基本的に)死後、贈られる名で、日本語では「おくりな」と呼びます。
 その人物の一生を、一文字、あるいは数文字、で表現して、毀誉褒貶を加えようというものです。もともとは一文字でしたが、後世、長い謚号が用いられるようになりました。清朝末期の西太后の「孝欽慈禧端佑康頤昭豫莊誠壽恭欽獻崇熙配天興聖顯」皇后、などは、覚えきれないほど長大なものですね。
 『逸周書』の諡法解と呼ばれる篇が謚号に用いられる文字の含意を広く解説しており、そこに「辟土服遠曰桓」と「桓」の意味を説明しています。固有名詞ではありませんが、固有名詞に近く、王侯の徳としての、特殊な意味が込められているわけです。