ある思い出

 最近、大学1年生の頃の中国語の授業について思い出しました。
 当時、私の通った大学では、1年生に「第2外国語」の履修が義務づけられており、私は中国語を選択しました。日本人の先生による授業が週に2回、ネイティブの先生による授業が週に1回でした。週に3回ですから、ずいぶん、語学に力のこもったカリキュラムであったと思います。
 ネイティブの先生は、劉先生という、外国人に中国語を教えることを専門とされる初老の女性教授で、北京からいらしていました。常にほほえみを絶やさない方でした。授業では、中国で作られた教科書が用いられ、すべてが中国語で講じられました。先生は日本語を一言も授業では用いないのです。出席確認も中国語なので、まず第一に学生が覚えるべきは、「中国語で自分の名前は何というのか」ということでした。呼ばれて返事をしなければ、欠席扱いになりますから。
 開講当初は、ずいぶんちぐはぐなこともあったように記憶していますが、それでも、1年を通して講義のすべてを中国語で受けたというのは、今から思えばたいへんに貴重な経験です。理想的な授業でした。
 ところが恥ずべきことに、私はこの10年以上、恩師である劉先生のことを一度も思い出さなかったのです。中国語を日々用いて仕事をしているくせに、不思議なくらいの薄情です。「中国語を中国語として理解すべし」「翻訳するなかれ」という私の信念が、劉先生のすばらしい授業の賜物であることに、疑いをさしはさむ余地はありません。劉先生のことを思い出し、感謝の念を新たにしただけでも、このサイトを作った甲斐がありました。