「音読」のすすめ

 ここでいう「音読」とは、「現代中国語の標準音で文言を読み上げる」ことです。漢字には「形」「音」「義」の三要素があるといわれますが、そのうち、「音」はもっとも時代ごとの変化が大きかった要素です。古代の中国語の漢字音と、現代のそれとは、まったく異なるものなのです。「形」や「義」も時代とともに移り変わりはしましたが、「音」の比ではありません。

 それゆえ、中国語音の歴史的変遷を明らかにする「音韻学」という独立した分野も存在し、「音」の歴史に関する、かなりの部分がすでに解明されています。

 理想をいえば、「『論語』は孔子の時代の音で音読し、唐詩は唐代の音で音読する」のがよいのかも知れませんが、それは現実的ではありません。中国の代表的な音韻学者、王力氏も名著『詩経韻読』の中で、現代人が古代の音で『詩経』を読み上げる必要はないし、現実的でもない、という主旨のことをいっています。我々も中国の人と同様に、現代中国語の音を身につけて文言を読み上げることを目指すべきでしょう。

 とはいえ、我々日本人にとっては現代中国語を修得するということだけでも一苦労です。「中国古典を読みたいのに、どうして今の中国語を学ばせるのか」という不満はこれまでも多くの学習者が繰り返し訴えてきたことですし、これからもそれは変わらないでしょう。確かに「文言」を読むという目的を考えた場合、現代中国語の学習は、一見、迂遠とも思えます。しかし、これ以外に道はないのです。

 もし日本語の日常会話もままならず、和歌を一首も暗誦できない中国人が、日本古典文学の専門家と称して、「漢字」を手がかりにして『万葉集』や『徒然草』を論じるとしたら、あなたは彼が日本文学について語ることを信用するでしょうか?日本語は日本語として読むしかないのです。同様に、中国語も中国語として読むしかないのです。すべてはそこから始まります。