典故と古典

 「典故」というのは、文章を書く際の「よりどころとなる古典の文句」のことです。中国においては、先秦時代から秦代・前漢時代と、質量ともに優れた文献が蓄積され、前漢末に劉向・劉歆の父子が国家的な図書事業を成し遂げる頃までに、後世にも多大な影響を与えた書物文化の礎が築かれました。さらにその後の文化の発達にともない、また仏教という外来の教えをも受け入れつつ、「古典」は巨大化してゆきました。
 魏晋南北朝時代、貴族が主導する文化が発達しましたが、その中では文学が重い地位を占めました。彼らの書いた詩文は、洗練に洗練を加えてゆきましたが、なかでも、(1)韻律の洗練と、(2)典故の洗練、はその顕著なものです。それゆえ、この時代の詩文には、「韻律」と「典故」にまつわる、徹底的な技巧が凝らされているのです。
 「典故」をよく知り、自由自在に応用できるのが、当時の教養ある貴族であった、というわけです。「典故」を用いれば、2字や3字程度(場合によっては1字でも)の字句を提示するだけで、古典の豊穣な文脈を示唆・引用できるわけですから、簡潔な文章にも含蓄を持たせることができるのです。
 『千字文』は、このような時代背景において、南朝の梁という王朝で生み出されたものですから、容易に推測できるように、多くの「典故」がちりばめられています。
 本年、2月4日の当ブログ、コメント欄に、私の「典故」学習法を披露しましたので、それを転載します。

 典故のもっともよい学び方は、「よい注釈書を読むこと」です。特に推薦したいのが『文選』李善注です。『文選』には多様な詩文が集められていますが、それらには「典故を多用する」という共通の特徴があります。それを李善がすべて解説してくれるわけです。安価な李善注を一冊購入し、出典の部分をマーカーで塗ってゆきます(暇な時間を見つけて)。李善注の指摘する典故が、基本的な典故だと考えてください。つまり、典故は有限なんです(まれにしか使われない典故を修辞学では「僻典」と呼びます)。
 『詩経』『論語』などですと、その書物すべてが典故となりうるくらいよく消化されていますが、その他の多くの書物についていうと、引用される部分は決まっているのです。
 その上で、読めそうな『文選』の文章を一篇選んで読み、本文と典故の関係を考えてみるとよいと思います。

 この方法は、少なくとも先秦時代から唐・五代までの文学・思想・歴史を学ぶ際には有益であると思います。試してみてください。
 一方、宋代以降の中国文化に関心をお持ちの向きには、この要求は過重であるかも知れません。最終的には、読みたいものの性格・質によって、要求される「典故」知識は左右されるでしょう。
 しかし、どの時代のどのようなジャンルの「文言」で書かれた書物を読むにせよ、「よい注釈書」を見つけて、それに精通すべきことはかわりありません(もちろん、「文言」で書かれた注釈書です)。よい注釈を読めば、対象となる文献を読むのに必要な知識の量と範囲が分かるものです。
 「文言基礎」を修得した後にでも、「斯く斯く然々の書物を読みたいのだが、よい注釈書はないか」と信頼できる指導者に聞いてください。そして、それを十分に読みこなしてください。その方がもしこの問いに答えられないようでしたら、あなたは間違った指導者を選んだのかも知れません。ご用とあらば、及ばずながら、セカンド・オピニオンくらいは申し上げます。
 話題を『千字文』へともどすと、この書物には北魏の人、李暹の書いた注釈があります。この注釈は我が国で盛んに伝えられ、弘安十年(1287)の奥書をもつ巻子本(『上野本『注千字文』注解』和泉書院、1989、に写真があります)もあります。
 李暹の注は、岩波文庫千字文』(小川氏・木田氏注解、1997)に全訳されており、これを読めば『千字文』の出典はたいがい分かります。
 この李暹の注は、的確に典故を指摘する一方、私の見るところ、説話的な要素が多すぎます。この注釈を読み解けば、「文言」を読む力はつくと思いますが、「無理をして読むこともない」というところです。「文言基礎」では、これからも「典故」の指摘は簡単に行います。李暹注の内容がどうしても知りたければ、暗誦を終えてから、日本語訳を読むくらいはよいかも知れません。