経典釈文

 一つの漢字に複数の音がある場合、それは「多音字」と呼ばれます。この「文言基礎」でも、多音字については一々指摘しています。しかし古代においては、一つの漢字を「読み分ける」習慣は、どうやら、存在しなかったらしいのです。つまり、多音字はなかったということになります。では、多音字はどのように生まれたのでしょうか?
 南北朝時代になると、漢字の読み分けが学者たちの関心事になりました。漢代に発達した注釈研究を受け継ぎ、この時代、さまざまな学者が経書(けいしょ、儒教経典)の読み方に関する著作を世に問いました。それらの著作は「音」と呼ばれました。
 それら経書の読音を指示する「音」を集大成するものとして、もっとも権威ある書物が出現しました。陳代の陸徳明(りくとくめい)という学者の書いた、『経典釈文(けいてんしゃくもん)』というものです。成書年代は6世紀の終わり頃、ちょうど、梁代の『千字文』と、隋代の『切韻』にはさまれる時代です。ほぼ同時代といっても大過ありません。
 この書物は、当時の「経典(けいてん)」とその注釈について、「音」と「義」とを記したもので、それまでの南北朝時代の経典研究を集大成しています。それゆえ、経典の音を調べる場合、後世、必ずこの書物が参照されます。音は『広韻』や『集韻』同様、反切(はんせつ)で記述されています。中古音です(ただし、同じ中古音でも『広韻』の中古音と小さな異同が存在する時があり、要注意です)。
 「なんだ、儒教のお経の話か」と思われたかも知れません。しかし、経書は中国文化にとって特別な意義を持っていることを知らねばなりません。前漢の時代に儒教が国家権力と手を結んで以来、儒教の経典、「経書」は中国の識字階級において、他の書物をはるかに凌ぐ、最高の地位を得ることになりました。そういう経緯で、経書に使われている文字は、一字一句、ゆるがせにできないものとされたのです。それゆえ、特に経書の「音義書」が多数、登場したのです。
 今日、『経典釈文』を用いることにより、六朝末・隋唐頃の人々がどのように経書を読誦していたのかを、かなり厳密に知ることができます。しかも上述の通り、経書は特別な書物であったわけですから、当時一般の読書音、特に読み分けを考察する上で、『経典釈文』は不可欠の書物とされています。
 なお、『経典釈文』が「経典」と考えるのは、以下、14種の書物です。『周易』『尚書』『毛詩』『周礼(しゅらい)』『儀礼(ぎらい)』『礼記(らいき)』『春秋左氏伝』『春秋公羊伝(しゅんじゅうくようでん)』『春秋穀梁伝』『孝経(こうきょう)』『論語』『老子』『荘子』『爾雅』。このうち、『老子』『荘子』は儒教経典ではありませんが、六朝時代には非常に重んじられ、「経典」あつかいされたのでした。
 利用するときは、黄焯(こうしゃく)断句『経典釈文』(中華書局, 1983)と黄焯撰『経典釈文彙校』(中華書局, 1980)をあわせて使うのが便利です。『経典釈文』は、特に反切の部分など、文字に問題が多いので、黄焯という第一級の学者が細かく考証してくれており、たいへんに有益です。さらには索引もあり(黄焯, 鄭仁甲編『経典釈文索引』中華書局, 1997))、この3点セットは手放せません。
 『千字文』の読解に絶対必要とまでは言えませんし、ましてや文言文の初級を学習する、「文言基礎」の趣旨を超える範囲ですが、「どのように伝統的な読音を推測するのか?」「多音字の読音を決める決め手は?」といった疑問にお答えしようと思い、一端をご紹介した次第です。