『辞通』を使ってみる

 前回、第108行に「矯手頓足,悦豫且康」と見えた「悦豫」は双声語です。現代中国語の発音、日本漢字音で発音してみて、双声・畳韻語であると思えるものについては、『辞通』に当たって調べてみましょう。
 ただしこれは、いわば応用編に当たる学び方なので、「そこまでは不要」と思われる読者は、今回、読み飛ばしてください。

 「悦豫」は、『辞通』巻17に項目として立てられています。意味が共通する複数のことば(「辞」)をまとめて挙げるのが、『辞通』のスタイルですが、先頭にあげられている「辞」を中心と見立てます。朱起鳳の「釋例」に「此の書は習見の辞を以て経(たていと)と為し、較(や)や僻たるの辞を以て緯(よこいと)と為す」というのがそれに当たります。この場合、「悦豫」が「経」とされているわけです。

 この辞書の本領は、例の挙げ方と「按語」にあります。「悦豫」は、「説豫」とも「悦悆」とも「説諭」とも「逸豫」とも書く、と朱起鳳は考え、次のように例を挙げます。

「悦豫」
   『三國志』魏書、高柔傳:「衆庶久濟,莫不悦豫矣」。
   『文選』班固「兩都賦序」:「衆庶悦豫」。
   『文選』左思「魏都賦」:「遐邇悦豫而子來」。
   『文選』謝靈運「酬從弟惠連」詩:「鳴嚶已悦豫」。
「説豫」
   『荀子』禮論「説豫、娩澤、憂戚、萃惡,是吉凶憂愉之情發於顏色者也」。
「悦悆」
   『文選』嵆康「琴賦」:「若和平者聽之,則怡養悦悆,淑穆玄真」。
「説諭」
   『漢書』杜鄴傳「竊見成都侯以特進領城門兵,復有詔得舉吏如五府,此明詔所欲寵也。將軍宜承順聖意,加異往時,毎事凡議,必與及之,指為誠發,出於將軍,則孰敢不説諭?」顏注「言此之意指,皆出忠誠,彼必和説,無憂乖異也。説讀曰悦」。
「逸豫」
   『後漢書』竇武傳「陛下初從藩國,爰登聖祚,天下逸豫,謂當中興」。

 按語には、次のようにいいます。

「悆」は即ち古の「豫」字。
「諭」「豫」は同音の通叚。
「逸」「悦」は声の転。
「説」は即ち「悦」字、『広韻』に云う、「「悦」は経典には通じて「説」と作る」と。

 多くの例を挙げていますが、これらはすべて同義、「よろこぶ、楽しむ」意であるというわけです(ただ、直接的な語義の解釈は書いてないので、読者が読み取るしかありません)。他の辞書を引くと「説諭」は「さとす」意、「逸豫」は「安楽をむさぼる」などと書いてあるかも知れませんが、『漢書』杜鄴傳・『後漢書』竇武傳の場合については、「悦豫」と同義であることが『辞通』により分かるわけです。

 なお、朱起鳳が「悦豫」を「経」として挙げるわけは、それが本来の用字であるからでなく、単に「習見の辞」であるからに過ぎません。このあたりにも、朱氏の柔軟さを感じ取ることができます。