006を読む

006 金生麗水 玉出崑崗
  Jin1 sheng1 Li2shui3, yu4 chu1 Kun1gang1.

 「金」「生」は、それぞれ『新華字典』の第1義を採っておきましょう。厳密に言うと「生」は、産出する、というような意味で、大型の辞書にはそれも載っているのですが、ここでは近似値を採りましょう。
 「麗水」は、固有名詞ですから、説明を写してもしかたがないように思われるかも知れませんが、これも1000字を覚えるためです。がんばって写してください。
 問題は「麗」の読音です。この字は多音字で、「一 li4」(中古音の「去声」)、「二 li2」(中古音の「平声」)と、2音あります。「二 li2」を見ると、[高丽][丽水]の場合、この音で読むとあります。そして「丽水」は「地名,在浙江省」とあります。一応、これに従っておきます。金を産出する「麗水」の名は、古くは『韓非子』に見えるのですが(『漢語大詞典』を引くとそれが分かります)、それがいったいどこにあるのか、諸説あるようです。ここでは、ひとまず、浙江省のそれと考え、平声に読んでおきます。
 「水」は、第2義です。
 「玉」は第1義、「出」は第4義。
 「崑崗」も固有名詞で、「崑」は第4義、「崗」は「一 gang3」「二 gang1」ですが、ここでは「岡」の字と通じる後者です。
 この第6行は、対句で出来ています。「金」「玉」が対(名詞)、「生」「出」が対(動詞)、「麗水」「崑崗」が対(名詞)です。
 ところが、ひとつ問題があります。「金」が「麗水」を生むのか?それとも「麗水」から「金」が生まれるのか?という問題です。文法的には、どちらも成り立ちます。「文言」を学ぶ際、このあたりが、学習者をたいへんに苦しめます。「こんないい加減な文法があっていいのか!」というわけです。
 それはもっともなのですが、ひとつ、考慮に入れてもらいたいことがあります。それは、「文言は人工的に作られた書き言葉であって、話し言葉を書き留めたものではない」ということです。古代においてさえ、決して文言のような簡潔で省略された形で会話がなされたわけではないのです。この例の場合、最低でも「金生於麗水」などと、「麗水」の前に前置詞(介词)を置かなければ、話し言葉としては成立しません。
 では、なぜこの話し言葉に不可欠な前置詞を、文言では省略してしまうのでしょうか?『千字文』は四字句という制限があるから、というのもその理由でしょう。しかし、もう一つ、対を見れば誤解はまず生じない、と作者が考えたから、という理由も考えられます。「金」が「水」を生み出すことはありえても(古代の中国人はそのように考えたのです)、「玉」が山を生むことはないからです。「省略」についてはあらためてお話しします。