古漢語の品詞と『漢辞海』

 『漢辞海』という辞書があります。三省堂から出版されている辞書で、第1版が2000年に、第2版が2006年に出ました。戸川芳郎氏による「監修者のことば」の中に、次のような記述があります。

漢字を単に和訓に置き換えるのではなく、漢語(Chinese word)として捉え、適確な例文から、実際の文脈にそって語義を読解する。したがって古漢語を品詞別に分類し、文法をふまえた説解をほどこし、用例は現代日本語で"全訳"した。この二点において『漢辞海』は、すでに画期的である。

 この辞書の第一の特徴として、品詞による分類を採用したことが宣言されています。従来の漢和辞典にはまったくこのような配慮がなかったわけですから、「画期的」というのはそのとおりでしょう。
 また、「本辞典のねらいと特色」の第3として、「親字の品詞の記述」という項目が立てられ、次のように説明されています。

漢字漢文には品詞は無用だという、漢字漢文の本質を理解しない時代遅れの認識を排した。親字の語義区分には、古代漢語の語法の枠組みにてらして認定した品詞を記述した。また、古代漢語の特性として一定の条件下で品詞が他のものに変わることがあるのを、「連用化」「動詞化」「名詞化」などの表示で具体的に示した。

 「漢字漢文には品詞は無用」という立場に対して、「漢字漢文の本質を理解しない時代遅れの認識」と、品詞否定派を語気も荒く批判しています。まあ、これもそのとおりでしょう。「漢字に、品詞なんてものはそもそもないんだ。そんな西洋くさいものを振り回して漢文が読めるか!」と主張する人に出会ったら、眉につばをつけたほうがよいかも知れませんね。理論武装はできていないはずです。品詞はあらゆる言語に共通する普遍的な概念ですが、「漢語のみが特殊である」と有効に論証できた人を知りません。
 さて、中国で出版されている古漢語の辞書でも品詞の記載があるものは少数派です。理由を推測するに、「古漢語は文脈によって名詞が動詞になったり、形容詞が動詞になったりするので、もれなく記述することが難しい」ということであろうかと思います。
 ただし、品詞を記述している辞書もあります。たとえば、時期的に早いものとしては、史东编著『简明古汉语词典』(云南人民出版社, 1985年)があります。また、私はしばしば『古汉语常用字字典』第2版(四川大学出版社, 2003年)という辞書も引きます。これは有名な商務印書館の『古汉语常用字字典』とほぼ同内容なのですが、品詞が記載してあるのが特徴です。どういう経緯で編集・出版されたのか分かりませんが、便利ではあります。
 このような、品詞の記述してある辞書を手元に置き、常に古漢語の品詞について敏感でありたいものです。
 ただし、以前にも書きましたとおり、私は「漢語を日本語に訳して理解する」ことの学習効率自体に懐疑的ですので、日本語で説明された辞書を用いることをおすすめしているわけではありません。