動詞と形容詞

 『千字文』の第49行は「性靜情逸,心動神疲」という対句ですが、これについて、次のようなクイズを出しました。

 訓読で表現すると「靜かなり」と「動く」とが対をなし、また「逸(やす)らかなり」と「疲る」とが対をなしています。品詞は一致しているのか、それとも一致していないのか?訓読の問題であるのか、あるいは文言そのものの問題が潜んでいるのか?それとも、「品詞」という西洋語由来の概念を用いることに無理があるのか?
 いろいろと考えてみてください。そういえば、「有」(有り)と「無」(無し)も対になります。日本語の古典文法でいうと、動詞/形容詞ですね。

 昨日のエントリー「古漢語の品詞と『漢辞海』」では、古漢語の品詞を明記する辞書があることをご紹介し、品詞を認識することが重要であることを説明しました。
 また、以前のエントリーで、『漢辞海』(第2版)の付録、「漢文読解の基礎」では、品詞を次の12種に分類していることを書きました。

名詞・動詞・助動詞・形容詞・数詞・量詞・代詞・副詞・前置詞・接続詞・助詞・嘆詞

 ほとんどの場合、品詞分類を理解し文脈の解釈に役立てることは難しくないと思います。
 今回のクイズでは、動詞と形容詞の区別に焦点を当てたつもりです。古漢語・現代漢語とも、漢語の動詞と形容詞は、かなり接近しているものがあります。杨伯峻, 何乐士『古汉语语法及其发展』(语文出版社, 1992年)は、古漢語の動詞を次のように分類します。

1) なにがしかの動作行為や有形の活動を帯びる動詞:
 1-1) 一般に目的語を取らない動詞:「坐」「起」「生」「死」「去」「行」「亡」など。
 1-2) 一般に目的語を取る動詞:「攻」「擊」「伐」「殺」「斬」「見」「知」「聞」など。
2) 思いを表す動詞:「愛」「惡」「畏」「恐」「惧」「思」「念」「嫉」「恨」など。
3) 存在を表す動詞:「有」「無」など。
4) 動作を表さず、主語と目的語の関係や判断を示す動詞:「為」「是」など。

 このうち、形容詞と接近しているのは、(1-1)「一般に目的語を取らない動詞」です。漢語では形容詞・動詞とも単独で述語になりうるので、目的語を取らない動詞は形容詞に近いといえます(英語においては形容詞がそのまま述語になることはないので、この点、まったく異なります)。形容詞が物事の状態を表しているのに対し、動詞は何らかの変化を表している、という違いがあるだけです。
 クイズに戻ると、「逸」と「疲」は、どちらも形容詞です。これは、『漢辞海』を見ても確認できることです。古代日本人の語感として、「疲」は、状態よりも動作を表しているように感じられたので、動詞として訓読したのでしょう。同じように、漢語では形容詞でありながら、日本語では動詞として訓読される語に、「亂」「荒」「衰」「満」「賑」「榮」などがあります(ただし、これらの語は文言文でも動詞として用いられる場合もあります)。
 「靜」(形容詞)と「動」(動詞)との対は、「靜」は宿命的に状態を示し、「動」が宿命的に変化を示しているので、対でありながら品詞が一致しません。しかし先に述べたとおり、「目的語を取らない動詞」と形容詞とは似ているので、品詞の違いを超えてしばしば対になります。
 最後に、「有」「無」は特殊な動詞です(上記の「(3) 存在を表す動詞」)。両方とも、動作を表してはいないのですが、目的語を取りうるので、形容詞であるとは言い難く、漢語では動詞と見なされます。いずれにせよ、両方とも同じ品詞、つまり動詞です。
 日本語の古典文法の「有り」は、ラ変活用の動詞ですが、ラ変の動詞というのは、他の動詞の終止形が「ウ段」で終わるのと異なり、「イ段」で終わり、「深く」「あり」が「深かり」となり、「美しく」「あり」が「美しかり」となるように、形容詞の直後に付いて活用を助けるはたらきもしています(「かり活用」)。日本語においても、「有り」は、他の動詞よりも形容詞に近い面があるようです。
 日本語文法の形容動詞は、活用形からのみ判断されて「動詞」の名を含んでいますが、意味的には形容詞そのものです。